七夕 願い事 ランキング

七夕の由来と起源は?

ついでに七夕の由来や起源、短冊や笹飾りの意味も面白かったので紹介しますね。七夕の由来は中国の、織姫と彦星の伝説が、七夕の起源だと思っている方が多いでしょう?実はですね、織姫・彦星伝説と一緒に、日本のある行事も七夕のもう一つの由来として伝わっていたんです!

【中国の伝説を元にした行事の伝来】+【日本古来の行事】=現在の七夕祭りというわけなんです。ここで更に、日本と中国、それぞれの七夕の由来となった行事や伝説を紹介いたしますね。

中国の七夕伝説


これは言うまでもない有名なお話ですよね。

機織りの上手な織女という勤勉な娘さんがいました。あるとき牽牛(けんぎゅう)さんという婿を迎えたら、急に仕事さぼって牽牛(けんぎゅう)さんにとにかく夢中。怒ったお父さんが2人を引き離して、年に一度しかあえなくしたという伝説。

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お父さん鬼やで…新婚さん引き離してたんかい!

新婚でいちゃつくのなんか早ければ最初の1年だけだから、ちょっと放置してやれば女は「仕事の方が楽しいわ」ってすぐ現実的に戻るのに。新婚のいちゃいちゃ期に引き離すのはNGでしょ。って伝説に突っ込んでもしょうがないので次行きます。

彦星?牽牛?どっち?


ちなみに私は「彦星(ひこぼし)」と「牽牛(けんぎゅう)」どっちよ?と、昔思っていました。調べたところ、伝説で伝えられているのは「牽牛(けんぎゅう)」です。中国から伝えられたのも「牽牛(けんぎゅう)」。「彦」は男性の美称(びしょう)です。

美称…「彦」は美しい男性を呼ぶときに使う言葉のこと。女性でいうと、美称は「姫」や「嬢」「撫子」「小町」とかでしょうか。西村雅彦さん、加藤晴彦さん、田原俊彦さん、彦麻呂、三田村邦彦など、現代でも男性の名前に人気の漢字「彦」ですよね。織女は女性の美称の織「姫」に。牽牛は男性の美称の「彦(星)」と、日本に伝えられてから名を変えました。

伝説を美男美女設定に変換したんですね。

乞巧奠(きっこうでん)とは?


中国における七夕伝説との時間関係は詳細不明ですが、乞巧奠(きっこうでん)という風習が奈良時代に中国から伝わりました。乞巧奠(きっこうでん)とは、中国の女性たちが「機織りが上手になりますように」って、機織りのエキスパートの織姫星に願掛けをする行事。

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織姫、どれだけ機織り上手だったんでしょう?鶴の恩返しの「おつう」レベル?作った端から売れてく感じ?家の前に行列が出来るほど?

それが男に夢中で仕事サボっちゃったら、確かにパパ激オコなりますね。それにしても、織物や裁縫は古くから女性の主軸の仕事として、中国でも日本でも上達を星に願うほどのものだったんですね。昔から女性必須スキル。それで「いい女度」がジャッジされるほどに!息子らの穴あき靴下を片っ端からぽいぽいしている私は古来中国じゃ結婚できないかも笑

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「裁縫スキル」と「結婚できる度」は古来中国でも比例してたのかもしれないですね。完全想像ですが。

そんな中国の「七夕伝説」と「乞巧奠(きっこうでん)」は、平安時代に日本に伝来しました。

七夕はなぜ「たなばた」と読むの?

ここでちょっと話しがそれますが、皆様「七夕」ってなんで「たなばた」って読むの?って思ったことありませんか?よく考えると変な当て字ですよね。

昔は7月7日の夕方のことを「七夕=シチセキ」と呼んでいましたが、日本のある伝統行事と混ざってしまい、現在の「七夕=たなばた」と呼ばれるように変化したのです。

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「シチセキ」なんて舌をかみそう…当て字になってよかった!

その日本の伝統行事について、以下に紹介いたしますね。

古事記の棚機女(たなばたつめ)


古事記(こじき)とは、社会でも国語でも習いますよね。

「古事記」…日本最古の歴史書として、現代でも古来日本の貴重な文化をかいまみる媒体として、研究が進められている貴重な文献

その古事記に、「棚機女(たなばたつめ)」ということばが登場します。棚機女(たなばたつめ)とは、一人の女性を指すのではなく、女性全体の風習によることばです。その風習とは以下の通り。

古事記に書かれている棚機女(たなばたつめ)の話
  • 機を織る女性を総称して棚機女(たなばたつめ)と呼んでいた。
  • 穢れを知らない女性の織る布を、「神聖な布」として水神に献上する習わしがあった。
  • 淑女が布を織る間は、棚造りの小屋というところにこもって、俗世から離れて織っていた。

「棚」=「借家」という意味が、日本にはありますよね。「棚貸し」とか聞いたことありませんか?乙女が借り宿で、一生懸命神様に献上する布を織っていたという伝記が、古事記に書かれているのです。実際には、村を厄災から守るために、乙女を一夜妻として神にいけにえとしてささげていたという説。

平安時代の日本には、もともとこの棚機女(たなばたつめ)を祀る習慣があったんですよね。くしくも大陸から伝わった「機織りの上手だった織姫星に、機織りスキル向上の願掛けをする」という七夕の風習がこれにぴったりとマッチ!平安時代の人々は、海外からの文化を柔軟に、自国の文化と合体させたのです。

そのため、「七夕」は棚機女(たなばたつめ)になぞらえて「たなばた」と呼ばれるようになり、7月7日は「機織りスキル向上の願掛け」をする祭事の日となりました。

節句ってなに?

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平安時代の宮中には様々な行事がありました。現代でも残っている「節句」と呼ばれるものの多くは平安時代に祝われたもの。更にその起源は中国に遡ることが多いですね。節句は中国の陰陽五行説に由来し、日本に定着した祝い事の文化。

  • 端午の節句=こどもの日は、5月5日
  • 七夕は7月7日
  • 菊の節句は9月9日
  • 女の子の桃の節句は3月3日

    奇数の数字が重なる日に祝い事を定着させたのは、それらの日が「季節の節目」だからと伝わっています。節目なので「節句」。何も考えずに「こどもの日」にこいのぼりを掲げてた私ですが、こうして漢字一つをとっても、千数百年以上も前からの名残であることがわかると、日本人として感慨深いものを感じます。

    そしてそれは日本にとどまらず、古く中国から伝わった文化が日本の習慣と織り交ざったものだったのですね。

    では7月7日の七夕の節句が、日本に慣習的に祝われるようになった由来を見ていきましょう。

    平安時代の宮中行事


    平安時代には、年間行事として季節の節目である日に「節句」として、様々なお祝い事を催していました。

    中国から伝わった「織姫・牽牛伝説」と「乞巧奠(きっこうでん)の機織り技術向上の願掛け」に加え、古事記より伝わる「棚機女(たなばたつめ)を崇拝する習慣」がその名のとおり織り交ざり、「七夕の節句」として祝われ始めたのも平安時代が発端であると考えられます。

    そして皆様、なぜ七夕では短冊に願い事を書くのか?その謎も、この平安時代に隠されていました!平安時代といえば、あれですよね、あれ!