父の日には、元気なお父さんには以下の記事を参考に、父への感謝の気持ちを込めてプレゼントを選んでみてください。
>>父の日プレゼント、人気ランキング20代~80代までのおすすめ
ただ…
「父親がすでに他界している」という方は、初夏の気候の中、お父さんのお墓参りに行かれるかもしれませんね。
私も曽祖父のお墓参りについて言ったことがありますが、その時に「え?こんな花をお墓に供えるの?」と意外に思ったことがあります。
そう、父の日に亡くなった父に贈る花は、意外なあの花。
その花を贈ることには、ある歴史に基づいた意味があったんです。
2023年の父の日はいつ?
2023年の父の日は、6月18日の日曜日です!
って聞いても忘れちゃいそうなので、6月に入ったら「ハッ」と思い、またこちらに確認に来てくださいね。
母の日はしっかりと覚えている子供たちも、なぜか父の日はスルーってはなし、しばしば耳にします。
イベントの多い5月の母の日とちがい、父の日周辺はノーイベントなので、ボーっとしている間に過ぎ去ってしまうって方が多いんですよね。
また、プレゼントを受け取るリアクションもママに比べてパパは地味なので、「嬉しそうでもないし、プレゼントするとかえって迷惑?」なんて遠慮してあげなくなることもあるのです。
そっけなくても、自分のことを思ってくれて、プレゼントを選んでくれる相手がいるという幸せ、きちんとかみしめてくれていると思いますよ。
社会に出てから家族のために働き続けているお父さんをねぎらう日として、毎年何か贈り物を上げるのは、素敵なことです。今まで贈ってこなかった方も、今年から、父の日プレゼントを始めてみてはいかがでしょうか。
父の日の由来は、今から100年以上も昔のアメリカの、あるイクメンパパが発端でした。
父の日の由来は?
1909年アメリカのワシントン州で、一人の女性が「父の日を作ろう!」と声を上げました。彼女の名はソノラ・スマート・ドット。
彼女の父は、ソノラを含む6人の兄弟を、実に男手一つで育て上げた偉大な父だったのです。ソノラの父は1861年に南北戦争へと赴いた軍人。
アメリカ建国以来最大の危機といわれた南北戦争が1865年に終戦を迎えて、やっと帰郷してすぐに、愛する妻をなくした父。再婚するまもなく、戦後の貧困をくぐりぬけ、なんとか6人の子供たちを独り立ちさせた後、静かになくなった父。
父の苦労を想い続けたソノラの元へ、ある知らせが届きます。
それは、ソノラと同じように、亡き母を偲ぶ日を「母の日」として提唱した一人の女性の話でした。
1905年にある女性を発端に始まった「母の日」の由来はこちらの記事をご覧ください。
父の日を作ってほしいと嘆願したのは1909年。翌1910年の6月には、父の日の最初の祝典が開かれますが、一般認知までにさらに6年の歳月がかかります。
1916年にアメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンの父の日に関する演説によって、「父の日」は全米に広まったといわれています。
ソノラが声を上げてから7年後…
さらに50年後、1966年のアメリカ大統領リンドン・ジョンソンが、6月の第3日曜日を父の日に制定。正式に国の記念日とされたのは、さらにその6年後の1972年となります。
父の日にプレゼントする花は?
父の日を作った発端となったソノラは、なくなった父親の墓前に白いバラを贈ったそうです。
そのため、当時アメリカでは父の日に贈る花をこう解釈していました。
- 白いバラ→亡くなった父へ贈る花
- 赤いバラ→存命の父に贈る花
おーっとあぶない!白いバラを贈るところだったぜ!という方、(いるかしらw)ご注意ください!白いバラは亡くなった父へ贈る花なので、その白いバラは、今から血で染めましょう(うそうそ)。
物事の由来を勉強すると、こうした豆知識が得られるのでいいですよね。
生きていらっしゃるお父さんに贈る父の日の花は「赤いバラ」が正解です。
と言っても由来に基づけば…というだけ。
でも結局は、白だろうと赤だろうと、贈ろうという気持ちがあるだけで、お父さんは意味など考えずに喜ぶと思いますよ。
父の日はひまわり?
「え?バラ?父の日ってひまわりじゃないの?」と思う方もいるでしょう。
- 母の日はカーネーション
- 父の日はひまわり
って通説が、日本では定着しています。
ベストファーザーイエローリボン賞
その理由は「ベストファーザーイエローリボン賞」と考えられます。1981年に「日本ファーザーズ・ディ委員会」が立ち上がり、毎年ベストファーザーを選出するというイベントが始まりました。お笑い芸人のはなわさんや、市川海老蔵さんなどが、過去に受賞されていますね。
この賞のテーマカラーが、文字通りイエロー。黄色なんです。だから黄色い花として、父の日にひまわりが送られ始めたとうわさされています。
ではなぜ「イエローリボン賞」なの?どっからイエロー出てきたの?と思う方のために、もうちょっと掘り下げて調べてみました。
その発端ははるかかなたから、海を渡ってきたことが分かります。
戦地に行く父に送る色だった
かつてアメリカでは、戦地へ行く男たちに「愛する人の無事を願う」という意味を込めて黄色いリボンを送りました。
戦地。常に死が隣り合わせの世界へと、愛する父を見送るときに送った黄色いリボン。どうか無事に帰ってほしいと願いを込めて…。
太平洋戦争から数十年。平和を享受しきっている日本ですが、今も世界各地では止むことのない戦いが繰り広げられている地域もあります。誰かの父が、娘に送られた黄色いリボンを握り締めて、今この瞬間も戦っているかもしれません。
平和に見える日本でも同じですよね。ブラック企業やリストラ。そもそも、20そこそこの若者の頃から、60過ぎる定年まで、海外のような裕福なバカンスをもつこともなく、ひたすらこつこつと毎日会社で、多くの「父」が戦い続けています。
- 「体を壊さないで」
- 「無事に帰宅してください」
そんな意味を込めて黄色い花を贈ることも、素敵な父の日のプレゼントだと思いますよ。
父の日にひまわりは、決して間違った贈り物ではないようですね。
さいごに
アメリカのイクメンパパすごいな~!6人を一人で…大鍋料理で毎日お料理だけでも大変だったろうに。ベーコンとか仕入れるのだけでも大変だったろうに。
家政婦さん雇ってたのかな?いや、時代は南北戦争直後だから、奴隷廃止唱えていた北部の人がそんな余裕もモラルも持てない頃かもね。ベビーシッター的な人はいただろうけど…にしても6人か…今のように行き過ぎた育児をしているわけじゃないとはいえ、食べさせていくだけでも大変ですよね。
じゃあソノラのパパは、仕事して、今の日本で言うと月収40万くらい稼いだ上に、家事炊事育児をこなしていたんだ。
通勤時間に穴の開いた靴下縫ったりしていたのかな?皿洗いしてる足元に、ちびっ子3人くらい「パパあそぼーよ!」とか「お兄ちゃんがぶった!」とかズボン引っ張られて言われてたのかな?
子供が熱出すたびに頭下げて会社休んで…
うう、ソノラのパパ、その苦労わかりますよ!うちもシングルなので再婚して苦労を分かち合いたい!
ってどうでもいいほうに脱線したところで終ります。
最後のくだらない与太話まで読んでくださってありがとうございました。