七夕の短冊に願い事を書くのはなぜ?
七夕の季節になるとスーパーとかにでっかい笹の葉が飾られて、備え付けの机に短冊がいっぱい置いてあって「願い事書いてください!」的なコーナーが現れますよね。で、子供に聞かれるわけですよ。「なんで願い事書くの?」って。
内心(知らないw)と思いつつ、「今日は織姫様が願い事を叶えてくれるからだよ!」って答えていました。今回じっくりと調べたところ、その適当な答えはどうも、あながち間違いではありませんでした。
昔は短冊ではなく梶の葉
中国から伝わった乞巧奠(きっこうでん)の「機織り技術向上を織姫に願う」ということが、七夕の願掛けの由来だからです。そして平安時代といえば詩(うた)。百人一首の世界です!宮中行事として定着した七夕の節句のときに、梶の葉に詩を書いて祝っていました。葉に詩…なんだか「ここ起源じゃない?」的な空気を感じますよね。
この時代には「願い事」ではなく、美しい詩を読むことが主流でした。有名なあの方も詠んでいましたよ!
光源氏の七夕の詩
平安時代といえば紫式部。彼女の作り出した名作・源氏物語にも、七夕に詩を詠むシーンが出てきます。光源氏が40歳を過ぎ、「六条院」となったある七夕の時期に、亡き紫の上との永訣を嘆く詩を詠いました。
「七夕の 逢ふ瀬は雲のよそに見て 別れの庭に 露ぞおきそふ」
織女と牽牛の、天の川に引き裂かれた二人の悲恋を、自分と紫の上に置き換えて、涙をながしているのでしょうか。そういえば有名な戦国武将の伊達政宗も、七夕の詩を8つ詠んでいます。
江戸時代に短冊登場!
さて、平安時代には宮中行事として祝われていた七夕の節句も、時を移して江戸時代に、その内容を大きく変えました!
梶の葉ではなく短冊が登場したのも江戸時代だといわれています。そして詩ではなく「願い事」に変化したのもこの時代説が有力。
「機織りがうまくなる」→「書道(詩を書くから?)が上達する」→「習い事が上達する」と、織姫への願い事の幅をぐーっと広げたのもこの時代。江戸庶民パワー最強ですね。伝説も由来も起源も「庶民で楽しめる祭事」へと変換する、この時代ゆえのパワーが確かに歴史の随所に感じられます。
端午の節句も江戸時代に大きく内容を変え、かぶとだけだった飾りから「こいのぼり」という文化を発祥させました。詳しくはこちらの記事をご覧ください→「鯉のぼり一番上のやつの意味,由来は?」鯉のぼりの吹き流しも、1色から五行陰陽説になぞらえて5色にしたのも江戸時代。
七夕の短冊の色も、同じように五行陰陽説になぞらえて5色用意しだしたのも、やっぱり江戸時代です。笹竹に短冊を飾る風習も、どうやら江戸時代が始まりのようです。
なぜ笹?と思った方、次をお読みください!
七夕の笹の由来は?
笹は古くから防腐効果のある植物として、人々に利用されてきました。日本各地の名物料理とかで、笹の葉にくるまれたものとかあるでしょう?口にする食物を守る笹は、人々にとって神聖なもの。
厄除け効果も高いと考えられており、神聖な七夕の願い事を飾るにふさわしいとして、短冊が飾られるようになったのです。江戸時代には梶よりも多く手に入る植物だったからかもしれません。
話しが飛びますが、「笹」と「竹」は別の植物です。七夕では主に笹が利用されますが、まれに竹に短冊をかざることもあります。江戸庶民が宮中行事を庶民祭りと変革したことで、固い縛りはなくなって「っぽければいいんじゃない?」が通用する行事にと、七夕祭りも変化したのですね。
七夕の由来と願い事の意味
- 七夕の由来と起源
「織女と牽牛の伝説」+「乞巧奠(きっこうでん)の風習」+「棚機女(たなばたつめ)の話」 - 願い事の由来と意味
「機織り技術向上」→「七夕の詩」→「習い事の上達」 - 短冊の由来
「平安時代には梶の葉に詩を書いていた」→「江戸時代に五行陰陽説になぞらえて5色の短冊に変化」 - 七夕の笹の由来
江戸時代に神聖な木として親しまれていた笹の葉に短冊を飾る習慣が定着
七夕の由来と起源、面白いでしょう!歴史物大好きな私は「古事記」とか出てきた時点で大興奮ですよ。
「古事記」に「源氏物語」に「節句の由来・意味」など、好きな方にはたまりませんよね。
これを知った後、今までとは違った気持ちで七夕を祝うことが出来そうです。
そうそう、最後に七夕の願い事の叶う方法・例文などを紹介します。上の「願い事の由来」を見ていただければ、かしこいあなたはもう、おわかりですよね。